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トークショー「語り継ぐ責任 未来への道しるべ」原田浩さん


元広島平和記念資料館館長であり、広島市国際平和担当理事も務められた原田浩さんが、イベントのオープニングで「語り継ぐ責任―未来への道しるべ」と題して講演されました。会場は満席となり、多くの方が耳を傾けました。

 

1939年生まれで今年、86歳になる原田さんは、原爆投下当時6歳。疎開先に向かう途中、お父様と一緒に広島駅のプラットフォームで被爆しました。駅舎が崩れ、建材が頭上から落ちてきましたが、お父様がとっさに原田さんをかばい、大きな怪我を負うことはありませんでした。がれきと化した町中を逃げる途中、火傷を負った人々や、倒壊した家屋の下敷きになり火災に巻き込まれる人々を目の当たりにします。幼いながらも苦しむ人を助けられなかったことが、今なお心に重くのしかかっていると語りました。

 

戦後の食糧難を経験しながら成長した原田さんは、早稲田大学を卒業後、広島市に勤務。国際平和担当理事として被爆50周年事業の中心的役割を担い、また「Peace Tourism推進懇談会」座長としても尽力されました。平和記念資料館館長としては、自らの被爆体験を語れる最後の館長となりました。

 

館長就任直後の1993年、アメリカのスミソニアン博物館から「原爆展」開催のため資料貸与の要請を受けます。しかし同館はアメリカの栄光を誇示する場所であり、原爆投下機「エノラ・ゲイ」と共に被爆者遺品を展示することに遺族からは強い反発がありました。その後、スミソニアン館長が広島を訪れて真摯な想いを示したことで、広島市は条件付きで貸与を決定しましたが、米国退役軍人の反対により企画は中止に追い込まれました。

 

原田さんが資料館で重視されたのは「日本という国家の立場ではなく、広島市民の視点で被爆の実相を伝えること」。広島市民がどのように関わり、どう受け止めたのかを示すことでした。現在の展示についても「核兵器の残虐さが十分に伝わっているのか」と疑問を抱いているそうです。

 

被爆100年となる2045年に向けて、広島はどのようなメッセージを世界に発信すべきか。被団協がノーベル平和賞を受賞したとはいえ、核兵器が削減されたわけではありません。被爆者の高齢化が進む中、どのように体験を語り継ぐか、どのような伝え方が未来へとつながるのか、その整理が求められていると訴えました。

「伝え方を誤れば、核兵器の使用を容認する考えを生む危険もある」と警鐘を鳴らす原田さん。その強い使命感と覚悟が伝わる講演となりました。

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