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「高校生が描いた原爆の絵II」完成記念トークショー

更新日:9月7日

2025年8月24日(日)13:00から「高校生が描いた原爆の絵II」完成記念トークショーが行われました。

被爆者の大橋さんの体験を、当時基町(もとまち)高校の生徒だった田邊さんが描かれた時の話を伺うことができました。残念ながら大橋さんは当日体調を崩され会場に来られませんでしたが、ご本人が録音した証言を流しながら、ファシリテーターが現在、沖縄の芸術大学に通う田邊さんにインタビューするという形式で進められました。

大橋さんは広島女子商の1年生の時、爆心地から約2キロの鶴見橋付近で建物疎開作業中に被爆されました。一緒にいた同級生の多くが亡くなったり重軽傷を負ったりする中、大橋さん自身も顔の左側や両腕に大やけどを負いました。逃げる途中では、崩れた建物に足を挟まれて動けない人、首のない赤ちゃんを背負って必死に逃げる母親と出会い、その光景がいつまでも頭から離れることはありませんでした。ご自身も顔や手にケロイドが残り、その後の人生にも暗い影を落としたのです。

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長らく体験を語ることのなかった大橋さんですが、90歳を過ぎて証言活動を始められました。基町高校の被爆証言を絵で記録するプロジェクトを通じて、大橋さんも田邊さんに、忘れられない光景を絵にしてもらうことになったのです。完成した作品を見て、大橋さんは涙を流されたといいます。首のない赤ちゃんをおんぶする母親の姿、足を挟まれて助けを求める人の姿――それらの絵は会場でも展示され、当時の緊迫感をまざまざと伝えていました。

 

田邊さんは、大橋さんの証言を聞き、先生の助言を受けながら絵を仕上げていきました。その経験について「被爆者の記憶を絵として残すことは、自分にとって大切な体験。揺るがない核を自分の中に持つことができた。想像力があれば争いも減るのではないか。」と語りました。


録音で証言を寄せられた大橋さんは、「被爆から80年。世の中は便利になったけれど、戦争だけは絶対にいけない。戦争は人間を人間でなくし、理性や判断力を奪ってしまう。」と、最後に力強いメッセージを伝えてくれました。

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