top of page
検索

鎌田七男先生によるトークショー「わたしが診た爆心〜奇跡の真相を求めて〜」

2025年8月23日(土)13:00から、広島大学名誉教授の鎌田七男先生によるトークショー「わたしが診た爆心〜奇跡の真相を求めて〜」が行われました。

2025年7月18日に刊行されたご自身の著書『爆心を見つめて』の内容を基に、広島での原爆投下時に生存不可能と言われた爆心地から500メートル圏内で奇跡的に生き残った78人の追跡調査等について語っていただきました。

爆心地から500メートル圏内で生き残ること自体が奇跡であり、先生はそういう方々の治療を通じ、また支援を行うことでどのような影響が生じ、何が起こったのかを長年調査して来られました。

先生は満州生まれで、小さい頃から医者になることを期待されてきたそうで、縁あって広島大学に入ることになりました。最初は外科志望だったのですが、消毒液にひどくかぶれるようになり、仕方なく放射線科に移ったそうです。1961年に被曝内科が設立され、外来ができたので、患者を診ることになりましたが、それまで被爆者は置き去りにされた存在でした。患者の中でも記憶に残る方が二人いらして、そのうちの一人が700m地点で被爆した兵士でした。当時、日本では染色体研究が始まって間もない頃でしたが、その方の染色体異常の数が多かったそうで、爆心地に近いほど異常が多くなることに着目するようになったそうです。また、当時35歳くらいの方で進徳(しんとく)女子高等学校(爆心地から約1.4km地点に所在)の卒業生から、当時動員されていた場所が同じだったクラスの半分くらいが亡くなっていると聞かされ、距離と受けた線量との関係を調査することになりました。そうやって調査した内容は、ウィントローブ臨床血液学(Wintrobe’s Clinical Hematology)という血液学分野で有名な教科書へ掲載されることになりました。この教科書に載せられるということは科学者にとってとても光栄なことだと先生は語りました。

ree

また、近距離被爆を生き延びた人々について爆心地から生還した78人の治療や調査、記録のみならず、先生ご自身がその方達の暮らしを支え続け顔の見える医療を実現してきたと語ると、淡々とした語り口とはうらはらに医療の枠組みでは捉えきれないほどの献身的な活動に対して会場からは感嘆のため息が聞こえてきました。

先生は視点を広島から福島に移し、原発事故の現場で感じた思いについて話しました。福島では放射性物質がどう動いていたのかが分かるので、それを広島に当てはめた時に、当時起きていたことが分かるはずで、今こそヒロシマはフクシマから学ぶべきだと語り、科学者として謙虚に学ぶという姿勢が大事で、その学びを連載シリーズで執筆中だと、熱く語りました。

ree

ree

 
 
 

コメント


Copyright © 2022 「原爆ドームとヒロシマ」実行委員会

bottom of page