top of page
検索

自主映画『ヒロ子の日記』上映後、元広島女学院理事長・黒瀬真一郎さんによる講演がありました

更新日:2022年8月26日

8月23日(火)10:30から広島市平和記念公園レストハウス3階多目的室にて、自主映画「ヒロ子の日記」が上映されました。

映画は、原爆ドームを訪れた女子中学生の岩本儀江が、原爆ドームの保存に関わった過去の人達と不思議な出会いを重ねながら綴られていく物語です。

原爆投下後、そのまま放置されていた原爆ドーム。「悲惨な記憶がよみがえり辛いので解体してほしい」という声があがっていました。しかし、1歳半で被爆し、白血病で16歳の生涯を閉じた女子高校生、楮山ヒロ子さんの日記がきっかけとなり、保存を訴える活動が始まります。

〜あの痛々しい産業奨励館(原爆ドーム)だけが、いつまでもおそる原爆を世に訴えてくれるだろうか〜

ヒロ子さんが亡くなる1年前の8月6日の日記に書かれたこのメッセージは、当時の小中高生の活動グループ「広島折鶴の会」を設立し、活動を支えていた河本一郎さんの目に留まります。河本さんは、原爆で命を失った子供たちの想いを伝えようと平和記念公園の「原爆の子の像」の建立を発案。そんな河本さんは、原爆の影響で亡くなったヒロ子さんの遺志を継ぎ、「広島折鶴の会」の学生と共に原爆ドーム保存活動にも精力的に取り組むようになりました。ドーム解体派だった濵井市長もその活動に心を打たれ、ドーム保存を決めました。

女子中学生の儀江は、濵井市長、河本さん、そしてヒロ子さんや、ヒロ子さんのお母さんと対話しながら、当時の広島の人たちの想いを受け止めます。

上映後、生前の河本さんの活動をよくご存知の元広島女学院理事長であり、現在、奥田玄宗・小由女美術館の理事長を勤めておられる黒瀬真一郎さんの講演がありました。

広島女学院で英語教諭をされていた黒瀬さんは、同じ学校で校務員として働いていた河本さんが、原爆の被害にあわれた方を支え、平和公園の清掃をしたり、私費で折り鶴の保管・管理をされる姿を見てこられました。そんな河本さんを黒瀬さんは奥様と一緒に応援し続けたそうです。


「河本さんは信念を貫く人だった」と黒瀬さん。河本さんのお母さまは、河本さんが小さい時から「自分だけ、いい思いをしてはいけない」と教育されたそうです。その言葉を胸に、常に信念を持って行動していた河本さん。行政をも動かした河本さんの信念は「私達にはできない」と諦めてしまいそうな心を奮い立たせ、私達に希望を与えてくれると締めくくりました。





 
 
 

Comments


Copyright © 2022 「原爆ドームとヒロシマ」実行委員会

bottom of page