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広がるヒロシマの心〜1980年代10フィート映画 アメリカ上映キャラバンの反響と意義〜

2024年8月23日(金)ドキュメンタリー『にんげんをかえせ』上映後、元広島大学理論物理学研究所に所属しておられた永井秀明さんと、元中国新聞記者の中原俊輔さんによるトークショーが広島市平和記念公園レストハウス3階にて行われました。

永井さんは『10フィート映画世界を回る』の著者でもあります。

 

その10フィート映画とは、アメリカ国立公文書館に保管されていた原爆投下直後の被害を記録した約85,000フィート(約26,000メートル)の記録フィルムを買い戻すため10フィート(約3メートル)を単位として市民から10フィートあたり3,000円の募金を募った運動によりできあがった映画のことを指します。

その運動の中心となった永井さんは、中国大陸で生まれ、わずか1歳で北海道に戻り、北海道大学で理論物理学を学んだ後、縁あって広島大学に所属することになりました。核兵器とは直接は関係がない理論物理ではあっても、どこかで兵器とは反対の立場で対処したいという思いはあったそうです。

広島大学の平和科学研究センターと関わりができたのは、当時の学長の発案で設置されたことで大学改革委員会に所属していたことからでした。

その後、国連で各問題を話し合う会合があり、それならば被爆者の声を吸収し、各国に伝えなければいけないと考えていたところ、米国の映画関係者から記録フィルムを買い戻せるという話を聞きつけたことが10フィート運動の原点になったそうです。

小学生からは1フィート分の300円なら払えるという声もあり、思わぬ広がりを得たこの運動ですが、その記録フィルムから映画化するには出演する方々に何度も交渉を重ねる必要があり、難航したそうです。

そうしてできあがった映画を米国で上映するため、出演者や通訳等で結成された5人のグループに帯同した元中国新聞記者の中原さんは各地での上映後アンケートを取り、思わず息を呑んだことや、気分が悪くなり途中で出たこと等の反応があったそうです。その中でも、折りたたんだアンケート用紙にドル札が入っていたりすることもあり、2,000ドル(当時は50万円)くらいの寄付を集めました。

「FREEZE the Arms Race」(兵器開発競争を止めろ)というキャッチコピーを掲げたデモが行われたりと、草の根運動も含めこの映画が及ぼした影響は大きかったようです。

多くの方の共感を得たという確信があるが、やはり原子雲の下で何が起きていたか認識できるかどうかが違いを生むのではないかと語られました。

最後に会場から永井さんへはまた機会があればぜひ話を聞かせてほしいという声が上がりました。




 
 
 

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