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『14歳のヒロシマ』出版記念トークショーが行われました

更新日:2023年8月1日


7月28日(金)、予定より10分遅れ14:20から広島市平和記念公園レストハウス3階多目的室にて、『14歳のヒロシマ』出版記念トークショーが行われました。

トークショーはほぼ満員の状態で事務局の青木さんの司会進行で始まりました。

登壇したのは被爆者であり『14歳のヒロシマ』著者の梶本淑子さん、ライターの村田くみさん、表紙を描かれた恩田トシオさんです。

出版の話が持ち上がった時、著者の梶本さんは被爆体験証言者としてお話をされていましたが、思ってもいなかった出版の話が持ち上がった時、とても驚かれたそうです。半年かかってたくさんの人に協力してもらってやっと出来上がったと謙虚な姿勢でお話されました。

村田さんは出版のきっかけについて、ウクライナ侵攻が止まらないことがひとつにあったと話しました。伝承者として被爆体験を話す時はみんな真剣に受け止めてくれたといいます。

どうやって紛争を止めたら良いのか、実際に核兵器が使われたらどうなるのか、8月6日が何の日か忘れている人も多いが、今こそ核兵器の恐ろしさ、平和の重要さを伝えるべきなのではないかと強い口調で訴えていました。

アーティストの恩田さんは埼玉県出身で、修学旅行で初めて原爆ドームを訪れたとき、突然まわりの雑音が消え、ドームに引き込まれるような感覚があったが、ギーッという大きな音がして我にかえったそうです。

そして最初は模型を見ながら遠く離れた広島の原爆ドームを描いたそうです。原爆ドームが描かれた絵はたくさんあるが、著者の梶本さんがその青い原爆ドームの絵を見たとき、「重厚なのに哀愁を帯び、亡くなった人の魂が入り込んでいるのでは」と思うほど惹きつけられ、表紙はこれしかないと決まったそうです。

表紙の原爆ドームに青を使っているのは被爆者が求めた水をイメージしているそうです。また、恩田さんは苦しい時に見た屋上の空がとても青かったことも「生きていてよかった」と思ったそうです。


『14歳のヒロシマ』は原爆投下以前の暮らしから、敗戦の気配を感じ、そして原爆投下により「なくなってしまった」広島、そこで生き残った者の苦しみが書かれています。

読む人に何を感じてほしいかを尋ねられ、梶本さんは「戦争は爆弾の恐怖だけではなく

人の心や境遇を変えてしまうということを子供たちや次の世代にも知ってほしい」と強く訴えておられました。


村田さんは「今、現代を生きる人は生きづらさを抱え、悩みは皆違って計れるものではない、それでも、多くの人に被爆者の方が8月6日以降も必死に生き抜いてことを感じてほしい」と話していました。


最後に梶本さんは「世界はたくさんの紛争が起こり、日本も軍備増強など戦争ができる国になりつつある今が正念場であり、みんな本気で伝えていかなければいけません。伝えるという小さな行いが大きなことになります。今生きていることは奇跡であり、みんな幸せな生活をしてほしい、原爆でつらい思いをしてほしくないというのが生き残った私たちの願いです。平和な世の中になることを願っています」と締めくくりました。






 
 
 

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