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映画『ひろしまのエノキ』上映とお好み焼きKAJISAN・梶山敏子さんのトークショー

更新日:2023年8月1日

2023年7月28日(金) 10:30から広島市平和記念公園レストハウス3階多目的室にて映画『ひろしまのエノキ』が上映されました。

原爆投下により、広島の街は焼け野原になりました。街にあった多くの木々も爆弾による熱線で焼けてしまいましたが、新しい芽や葉をつけ、たくましく生き延びたものもありました。

映画『ひろしまのエノキ』は、子供たちが、爆心地から1kmの旧陸軍病院の庭で被爆したエノキを大切に世話する姿をアニメーションで描いた作品です。原爆の熱線により幹はえぐられたように焼けたものの、たくましく生き延び続けていたエノキですが、被爆から約30年後には、そのくぼみにゴミを捨てていく人も。ゴミ溜めのようになっていた被爆エノキに気付いた地元、基町小学校の生徒たちがゴミを片付け、水をやり、根元には花を植える活動を始めます。大人たちも、この活動に協力するようになり、地元の人たちに大切に見守られるエノキとなりましたが、残念なことに台風で幹が折れてしまいます。それでも、みんなエノキの新しい芽吹きを願い続けます。樹木医の協力もあり、エノキは見事にたくさんの新しい芽を付けるのですが、数年後、徐々に弱り枯れてしまいます。しかし、その周りに落ちた実からまた新しい木が、力強く育ち続ける…というストーリーでした。

その後、このエノキの話がきっかけとなり、広島の被爆樹木が注目されるようになったそうです。そして上映後のトークショーのゲストは、鶴見橋のたもとにある被爆柳が見える場所で、58年間お好み焼き屋を営まれている梶山敏子さん。日々、被爆ヤナギの姿に励まされながら、お好み焼きを作り続けてきました。

敏子さんの父親は、敏子さんが幼い時に他界。母親は敏子さんと弟さんを連れて上天満町の実家に身を寄せ、祖父母と母の姉夫婦たちと暮らしていました。そして4歳の時に、この自宅で被爆。家は爆風でつぶれ、祖母と弟は家の下敷きになりましたが救出されます。中庭にいた梶山さんも一命をとりとめました。しかし、爆心地に近い十日市に建物疎開へ行っていた母親は家族の元に帰ってくることはありませんでした。

両親を亡くした梶山さんは、その後、戦災孤児を支える精神養子運動の「広島子どもを守る会」に入会。そこで同じように両親を亡くした昇さんと出会い、その後、テレビ番組のお見合い企画で昇さんとの結婚を決めます。昇さんの自宅があった比治山で新婚生活をスタートし、長男出産から半年後、自宅の一部を改造して小さなお好み焼き屋を始めます。長男を背負いながら、そして時にはお客さんに子守をしてもらいながら、敏子さんは店を切り盛りしていました。常連さん達に支えられながら、敏子さんはお好み焼きを作り、お子さんたちも立派に成長されました。

しかし60才を過ぎたころ、大病を患うことに。それでも敏子さんは「4歳で被爆した時に失いかけた命。ここまで長生きできて有難いことだ」と、自分の死にも対峙できていました。入退院を繰り返しながら、今でもお好み焼きを作る敏子さんの店には、昔からの常連さんに加え、敏子さんとの交流を求めて、若い世代のお客さんも来られるそうです。

そして今年の8月6日も、いつものようにお客様のためにお好み焼きを作るのだと敏子さんは嬉しそうに話されていました。


 
 
 

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