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『あの夏のライオン』の上映後、歴史研究家の森 重昭さんによるトークショーが行われました。

更新日:2022年8月26日

8月24日(水)13:30から広島市平和記念公園レストハウス3階多目的室にて自主映画『あの夏のライオン』が上映されました。

監督の田中渉さんが書いた絵とストーリーをもとに、アーティストの恩田トシオさんが動画製作を担当しました。複数の絵を用いた紙芝居のようなアニメーション作品。史実をもとにしつつ、こどもたちも見やすいファンタジーになっています。主人公はライオン好きの幼い少女と、ライオンに似た米兵青年です。7月28日の呉空襲時に撃墜された爆撃機に搭乗していた若い米兵との8月6日までの一週間の交流を描いています。

上映後、本作品作成にあたり取材に協力した歴史家で、2016年に当時のオバマ大統領が平和記念公園を訪れた際に抱擁を交わした森 重昭さんによるトークショーが行われました。


森さんはまず自身の被爆体験について語りました。中国憲兵隊司令部の近く、済美学校幼稚園に通いましたが、国民学校3年時に集団疎開せず己斐(こい)に転校しました。被爆時、森さんは8歳。学友とともに歩いていたところ被爆しました。川に吹き飛ばされながらも、奇跡的に大きな怪我を負うことはなかったそうです。一時間後、川から這い上がると、一人の女性に病院はどこかと声を掛けられます。その女性は全身血だらけで、からだが裂け、こぼれた内臓を両手に抱えていたと森さん。被爆して経験した記憶はあまりにも凄惨で、忘れられるものではないといいます。


森さんは会社に勤めるかたわらで長年被爆米兵の調査・研究を続けてきました。奇しくも、撃墜され墜落した爆撃機からパラシュートで脱出して捕虜となった米兵が被爆した場所は、かつて通った済美学校幼稚園そばの憲兵団司令部でした。作品に登場する脚に怪我を負った青年は、実際に調査した捕虜米兵がモデルになっています。捕虜米兵に関する情報はごくわずかで、その調査は容易ではありませんでした。どこに資料があるかもわからず、当時を知る人もいない。すべては手探りだったといいます。

そして記録に残して終わりにするのではなく、米兵遺族との交流も未だに続けています。オバマ元大統領の広島訪問時には、米大使館から招待されたそうです。オバマ元大統領との抱擁について「被爆米兵の遺族の方々がとても喜んでくれたことが一番うれしかった」と、声を震わせていました。

原爆がただの爆弾ではないことを自身の経験からよく知る森さん。今日はこれまで話したことがないことも披露してくださいましたが、最後に、原爆のおそろしさを伝えたいと強く訴えました。







 
 
 

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