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『ヒロ子の日記 〜原爆ドーム保存秘話〜』上映とトークショー(2022/12/3)

平和の象徴として今も残り続ける原爆ドーム。コロナが始まって3年が経つ今年、多くの修学旅行生や観光客が戻り始めた。しかし、あなたは原爆ドームが残っているのは実は当たり前だと思っていないだろうか。戦後は「あのドームを見ると、あの残酷な光景を思い出す、もう見たくない」という声が多く、また補修工事の費用の問題もあり、取り壊しの方向で考えられていた。その中で一人、原爆症により当時16歳の命を落とした楮山(かじやま)ヒロ子さんの日記を読んだ、広島折鶴の会の世話人として原爆ドームの保存に貢献した河本一郎さんが原爆ドームを取り壊すことに反対し、行動し続けた。そんな彼をそこまでも動かしたヒロ子さんの言葉とは、「あのいたいたしい産業奨れい館(原爆ドーム)だけが、いつまでもおそる原爆を世に訴えてくれるだろうか」。


メガホンを取ったのは出山知樹監督。「原爆ドームとヒロシマ」実行委員会の第1回制作作品です。

河本一郎役を演じた原仲裕三さんと、ヒロ子のお母さん役をされた恩田さんも会場に来られました。

上映後、ヒロ子さんの同級生の寺田さんと田村さん、折鶴の会のメンバー三上さんをゲストに迎えトークショーが行われました。聞き手は出山監督です。





Q監督:三上さんはヒロ子さんの後輩でいらっしゃるとお聞きしました。

A三上さん:そうです、ヒロ子さんが高校に入学された時に私は中学校に入学しました。中高一貫校だったので、遠足や運動会は一緒にしていました。私が中学2年生の時に、校長先生が朝礼の時に楮山ヒロ子さんが亡くなられたことを話して、私もそこで知りました。


Q監督:田村さんはヒロ子さんとずっと一緒に登校していたそうですね

A田村さん(ヒロ子さんの同級生):毎日4キロ一緒に通ってましたよ。カバンを持ってあげてましたし。帰りにはよく川に遊びに行きました。穏やかな思い出があります。


Q監督:折鶴の会は、(原爆ドームを残すための補修工事のための)募金活動以外にも署名活動も教室でしたと聞いたのですが

A三上さん:河本さんに「目から消えるものは心からも消える」と言われて、最初はえっ?と戸惑ったのですが、ヒロ子さんの日記と、あの原爆ドームと、ヒロ子さんのお母さんと何度かお話しして、あの原爆ドームを残すためには(署名活動も)しなければならないと思ってやりました。もちろん学校という場所でやることは大変でした。職員会議にかけて、他の先生からも許可を得てから、署名活動ができました。あとは、教室だけではなくて、実は当時、朝日新聞が、この活動を記事に取り上げてくれて、それで全国に知れ渡って、全国からも募金が集まりました。(原爆ドームが残った背景に)そういった方々の力もあるのではないかと思います。


Q監督:いつ、原爆ドームが残されたことを知ったのですか?

A三上さん:当時の市長に、折鶴の会で河本さんを代表に私もそのひとりとして陳情書を出しに行った時に、河本さんが市長に原爆ドームを残していかなければいけない思いを熱く伝えました。そのあとで、市長が河本さんに「原爆ドームは残します」と言ったそうです。私はそこから誰かからか、聞きましたね。


Q監督:どのような経緯でこの本を作られたのですか?

A寺田さん(ヒロ子さんの同級生):作ろうと何人かで言っていたのですが、みんな仕事が忙しくて…作り始められたのが、退職してからで、そこから6年くらいかかりました。当時私はあまり楮山さん(ヒロ子さん)のことを知りませんでしたから、楮山さんのことを知る人に話を聞いて、楮山さんのことを知るのにとても時間がかかりました。


Q監督:最後に一言ずつ、何か伝えたいことはありますか

A 三上さん:原爆ドームが悲しんでるよね、とある人に言われた時に、ハッとしました。ウクライナでの戦争とコロナで、原爆ドームを知っていただく機会がここ数年なかった。そして8月6日の広島でのお参りに来る人が少なくなってきている。戦後から77年。どうして原爆ドームが残っているのかを知っていただきたいです。


大きな拍手と共に、トークショーは幕を閉じました。










また、トークショーの後で、出山監督からお話を聞きました。

Q(筆者)この映画を作ろうと思ったきっかけは?

A(監督)原爆ドームの世界遺産登録25年という節目で、その登録された日に何かやろうと言っていました。そこでちょうどこの本に出会って、映像制作がやりたかったので、自主制作という形でこの作品を作りました。


Q戦争を扱った映画といえば、暗い音楽が当たり前のように感じるのですが、この映画はピアノの明るい曲でした。どうしてですか?

Aこの映画にあっているから!と感じたのが、単純ですが、理由です。あとは、ヒロシマと聞くと、おどろおどろしいイメージが強くて、トラウマになったという話も聞きます。皆さんにも見てもらってこれが平和を考えるきっかけになってもらえればと思って、暗すぎない映画にするためにあえてこの曲を選びました。


Qあのヒロ子さんが日記の最後に書かれていた詩が、映画内でも取り上げられていましたが、監督はあの詩をどのように解釈されていますか?

A僕でも正直わかりません。映画の通りであるのが一つの僕の解釈ですが、ヒロ子さんがどのような意味を込めて書かれたのかは、本当にわからないところではあります。いろんな解釈があっていいと思います。そこから何か考えてくれればと思います。


Qこの映画がこれからどのようになって欲しいですか?

Aあまり深くは考えていません。ただ、これを見た方が、何かを考えるきっかけになってくれれば嬉しいです。

 
 
 

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